Republic of Poland ポーランド共和国
 
 ワルシャワ、トルン、ポズナン、クラクフ、ヴィエリチカ観光
   ・・・枠の付いた写真は、クリックで拡大表示されます・・・

 ポーランドの面積は32.2万平方kmで日本の約5分の4、人口は約3,800万人、首都はワルシャワ、民族はポーランド人が人口の約97%、言語はポーランド語、宗教はカトリックが人口の約90%、通貨はズロチで1ズロチは約32円(写真は100ズロチ紙幣の表と裏)。
ポーランド航空は成田からワルシャワまで直行なので約11時間と便利でした。各国でテロなど不安要素がありますが、ワルシャワでも帰国手続き中に突然、空港外への避難命令があり約2時間ほど様子を伺っていました。怪しい荷物を持ち込んで逃亡したのだとか・・真相は明らかではありませんが、何事もなく帰国することができました。

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 《100ズロチ紙幣の表と裏》   《成田から直行便のポーランド航空》      《空港ビル内から緊急避難》
 聖十字架教会はイタリア人建築家ベロッティが設計したバロック様式の荘厳な教会で、本堂内部左手前の石柱下にショパンの心臓が埋められています。旧市街の中心部王宮広場では、旧王宮をはじめ洗礼者ヨハネ大聖堂を、少し歩いた旧市街市場広場中心では人魚の像を見ることができます。更に少し北へ歩けば、1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞したキュリー夫人の生家が博物館として公開されています。途中、旧市街と新市街の境目にある円形の砦「バルバカン」があります。旧市街を守るために造られた城壁で、現在ヨーロッパに3箇所しか残っていませんが、そのうちの2箇所がポーランド(もうひとつはクラクフ)に存在しています。
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《文化科学宮殿》《聖十字架教会》  《王宮広場》
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《旧市場広場》 《バルバカン》 《キュリー夫人博物館》
《ワルシャワ》
 ヨーロッパの東西を結ぶ交易の中継点に位置するため諸外国による侵略、分割に繰り返し遭ってきました。また第二次世界大戦では、主要都市が破壊され、特にワルシャワは壊滅的な被害を受けましたが、旧市街の重厚な建物や街並みが市民の努力によって完璧なまでに復元されています。何度も不死鳥のごとく蘇ってきた国、そしてショパンの故郷が「ポーランド」です。

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   《ホノラトカ》
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 《ホノラトカの室内》   《ショパンのコンサート》

 社交場としてのカフェが並んでいた旧市街のミオドヴァ通りにあるショパンが足しげく通った一軒「ホノラトカ」。現在も伝統的なポーランド料理の老舗レストランとして営まれており、かつてのワインセラーを改装された店内にはショパンの絵や譜面が多く飾られ、彼が好んだメニューが「ショパンメニュー」として提供されています。

《トルン》
 中世の街並みが残るトルンの町の始まりは1200年代前半、重要な水上交通路であったヴィスワ川に面した好立地であったことから、バルト海沿岸で産出された琥珀を輸送する際の交通の要衝であったため、町に繁栄をもたらしました。都市として大繁栄を収めたトルンは、ヨーロッパの中でも重要な商業都市のひとつとして数えられていました。また、ポーランドの北部で、ドイツ騎士団が勢力を強めていった時代には、ここトルンが彼らの根拠地となっていたこともあり、町並みはどこかドイツ風にも感じられます。


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  《旧市庁舎とコペルニクスの生家》

 旧市庁舎のある広場から南に、ポーランドを代表する偉大な天文学者コぺルニクスの生家があります。コペルニクス家は、代々銅を扱う商人であったため、当時の豪商の雰囲気が味わえます。また旧市街の中心に建つのは、高さ40mの塔を掲げる旧市庁舎。何度か戦火にさらされ、18世紀の初め頃にはスウェーデン軍の砲火に遭ったこともありますが、旧市庁舎の内部は博物館として利用されており、14世紀に作られたというキリスト像をはじめ、宗教絵画やステンドグラスなどの展示がされています。

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  《聖マリア教会と内部》
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 旧市街広場沿いに建つ聖マリア教会は、高さ27mものとても大きな教会。14世紀の半ばにフランシスコ修道会により、ゴシック様式で建てられたものです。外観はとても質素な造りの教会ですが、内部に入ればゴシック風の壁画、ステンドグラス、オルガンなどとても豪華で美しい装飾がなされています。


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  《モナスター門と世界遺産の街並み》

 トルンを守っていた13の城門は、現在では3つだけ残されています。その中で最も重厚で大きなモナスター門は、旧市街の南側、ヴィスワ川に接しています。

 旧市街は地元の人々が憩う広場で、全体が世界遺産に登録されています。また旧市街の東側には新市街広場があり、見所が集まった旧市街広場に比べると、観光客よりも地元の人々が憩う
場のようです。もともとは、職人たちが住んでいたエリアで、広場中央にはプロテスタントの教会が鎮座しています。それを取り囲むように建つ、パステルカラーの建物も可愛らしいです。

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  《ショパンの生家と庭園》
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《ショパンの像と博物館内のピアノ》

 ワルシャワの50km西に位置する町「ジェラゾヴァ・ヴォラ」には、1810年フランス人の父とポーランド人の母の間に生まれたショパンの生家があります。博物館として一般公開され、庭園には日本の桜をはじめ世界中から贈られた花や木が、館内にはショパンが奏でたピアノが設置されています。

 

《チェンストホーヴァ》
 人口の約9割がカトリック教徒というポーランド国民の精神的な首都。1655年のスウェーデン軍による侵略でワルシャワやクラクフが占領されましたが、ここヤスナ・グラ僧院は最後まで屈することがなかったのは、ここに安置される絵画「黒いマドンナ」がもたらした奇跡とされています。以来、聖母マリアを描いたこの絵が困難からの守り神として崇められています。


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 《ヤスナ・グラ僧院内部と黒いマドンナ》

《シヴィドニツァ》
 ヤボルとシヴィドニツァの平和教会は、1648年の三十年戦争後に建てられたプロテスタントの木造教会です。両地域はカトリックのハプスブルク家が支配していましたが、プロテスタントの住民が多かったことから、色々な制約条件の下で特例で建設が認められたとのことです。制約条件の一つで内部も木造ですが、写真のように大理石に見える美しい彫刻に目を奪われます。またここで、貴重なパイプオルガンの演奏を聴くことができました。


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 《シヴィドニツァの平和教会とその美しい内部》

《ヴァドヴィツェ》
 ヨハネ・パウロ二世(カロル・ヴォイティワ)の生家があり、すぐ横には大きな教会が、また教会入口にはヨハネ・パウロ二世の像が建てられています。教会内にはヨハネ・パウロ二世の血液が聖遺物として保管されています。少年時代に信仰心の強く優しい母親を亡くした時、軍人だった彼の父は「これからは聖母マリア様が母の代わりにお前を見守ってくれるだろう」と慰めたといいます。

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《ヨハネ・パウロ二世教会とその内部》

《クラクフ》
 中世時代の美しい街並みがそのままの姿で残されているクラクフは、ヨーロッパ有数の美しい都市としても知られています。ワルシャワに首都が移った現在も芸術・文化・学問の都として栄え、1978年には「クラクフ歴史地区」として世界文化遺産に登録されました。クラクフは、ポーランド南部にある都市でマウォポルスカ県の県都。ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都でした。

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《ヴァヴェル城と旧王宮、ヴァヴェル大聖堂》

 全長1,047km、ポーランド最長のヴィスワ川沿いに建つヴァヴェル城は、ゴシックルネッサンス様式で建築され、首都がワルシャワに移される16世紀まで歴代王の居城として使われていました。またヴァヴェル城の敷地内に建つ旧王宮には数多くの展示がされており、豪華な調度品や歴代王の肖像画、戴冠式で使用された剣など貴重なものを実際に見ることができます。1364年に建設されたヴァヴェル大聖堂は、旧王宮と共にヴァヴェル城の敷地内に建てられており、1764年まで歴代のポーランド王の戴冠式はこちらの大聖堂で行われていました。

 14〜16世紀にポーランド王国の首都だった都市「クラクフ」。
第二次世界大戦時、ナチス・ドイツに占領されましたが、爆撃から逃れた美しい街並みの旧市街が中世の雰囲気を漂わせます。


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《旧市庁舎の塔、聖マリア教会とその内部》

 中世時代、クラクフは東西から多くの商人や品物が集まる貿易拠点として賑わい、その中心地的役割を担っていた織物会館。現在はアクセサリーや民芸品、革製品などの品物が所狭しと並べられています。また中央市場広場は、総面積4万平方mの大きさを誇っています。織物会館も、中央市場広場の敷地内にあります。

 13世紀初頭に建設された聖マリア教会は、織物会館の向かいに建っています。教会内部の祭壇はヨーロッパ2位の高さを誇る木造建築で、国宝にも指定されています。著名な彫刻家ファイト・シュトースが1477年から1489年にかけて制作した高さ13mの祭壇画も見どころです。

 ポーランドのクラクフの中央広場にあって、クラクフのランドマークになっているのが高さ70mの旧市庁舎の塔です。13世紀の終わりの頃に建てられた市長舎の一部として建設され、地下は刑務所として使用されていたようです。建物はレンガや石を用いてゴシック様式で作られましたが、1680年の落雷により崩壊し、バロック様式で再建されました。現在は、クラクフの歴史博物館、広場の展示場として常設展示なども行われおり、塔の上に登ることもできます(私は登っていません)。また毎正時になると、上部の窓からラッパを吹いて時間を知らせるパフォーマンスがあるため、正時前には多くの観光客が付近に集まり、終了の合図でお買い物や散策に戻ります。

《ポズナン》
 ポーランド最古の都市と言われるポズナンは、首都ワルシャワとドイツのベルリンの間に位置するポーランド西部の歴史ある都市です。長い歴史を誇る建造物や美しく絵本のような街並みなど観光地としての魅力も満載ですが、第二次世界大戦では甚大な被害を受け
ました。

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   《古都ポズナンの旧市場広場》

 古都ポズナンの魅力を満喫できる旧市場広場は、ポズナン旧市街地の中心にあり、ルネサンス様式の旧市庁舎や色とりどりの建物が広場を取り囲みます。


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   《ポーランド最古の大聖堂》

 ポーランド最古の大聖堂として有名なポズナン大聖堂は、は10世紀ポーランドがキリスト教を受容してから国内で初めて建造された大聖堂です。このポズナン大聖堂があるのは、ポズナンを流れるポーランドの3大河川の一つ、ヴァルタ川の中洲でヴァルタ川にたたずむその姿からは、ずっとポズナンの変遷を見守り続けてきた歴史の重みをずっしりと感じることができます。 内部に12ある礼拝堂のひとつ、「金の礼拝堂」や素晴らしい装飾画など、圧倒する魅力を有しています。

ヴロツワフ》
 この街は千年以上の歴史を持ち、時代によって様々な国の領地となったため、独特の景観を持ちます。ヴロツワフは10世紀にボヘミア公によって建設され、まもなくポーランド王国の領土となりました。14世紀にはボヘミア、17世紀から第二次世界大戦まではハプスブルグ家、プロイセンやドイツに領有され、1945年に再びポーランドの地となりました。ヴロツワフの中央広場はポーランドで2番目に広く、またひとつ一つの建物が何ともユニークで綺麗です。シフィドニツカ通りという、ヴロツワフのメインストリートがあり、この通りを注意深く観察すると幾つかの可愛らしい「こびと像(妖精像)」を見つけることができます。実はヴロツワフは「こびとの街」と呼ばれており、第1号は2001年に設置され、現在では250体を超えているとか、写真は私のお気に入り「TVを見てくつろぐ」です。
妖精たちの写真はこちらをクリック

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  《中央広場とお気に入りのこびと像》

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  《百年記念会館》

 ナポレオン戦争「ライプツィヒの戦い」の勝利から100年を記念して、マックス・ベルクが設計、建造された円形の会館です。
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    《ヴィエリチカ岩塩抗の入口》
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 《入口のエレベーター》  《出口はトロッコに乗って》
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 《岩塩で製作された最後の晩餐とシャンデリア》
《ヴィエリチカ岩塩抗》
 1044年創業の廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、深さは地下327m、全長は300km以上におよぶヴィエリチカ岩塩抗。3.5kmの坑道内には、観光向けに歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像や当時の様子などが再現されています。その全ては、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたもので、屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成されています。この岩塩坑は年間100万人以上の観光客が訪れるとのことで、長い歴史上、コペルニクスやゲーテ、ヨハネ・パウロ2世もここを訪れたとのことです。第二次世界大戦中には、この岩塩坑を占領したドイツ軍がその一部を軍需物資の製造拠点として使用されました。また1978年、ユネスコの世界遺産に登録され、最初に登録された世界遺産12件のうちのひとつです。


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        《当時の採掘を再現》
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 《神話:キンガ妃の指輪》  《メタンを燃やす様子》

 通常は入る時も出る時もエレベーターを使用するようですが、出口に向かう「トロッコ」に乗ることができました。ひんやりした坑内を風を切って走るトロッコは、心地よく貴重な体験でした。
《アウシュヴィッツ強制収容所》
 ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策、強制労働により最大級の犠牲者を出した強制収容所です。収容された約90%がユダヤ人とされ、第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市に作られました。ユネスコ世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録し、公式な分類ではないようですが、「負の世界遺産」に分類されています。
 約30の施設から成り、平均して15,000人が多い時には20,000人が収容されたようです。入口には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由)」の一文が掲げられています。10号棟には人体実験が行われた施設、11号棟には銃殺刑を執行するための「死の壁」、さらにはガス室までもが一般公開されています。

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 《第一強制収容所正門》  《最初のガス室とされる施設》
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         《収容所内の建物》
《第二強制収容所》
 被収容者増を補うため、1941年10月ブジェジンカ村に絶滅収容所として「第二強制収容所ビルケナウ」が開所されました。総面積は1.75平方kmで、300以上の施設から成り、1944年には90,000人が収容されていたとのことです。アウシュヴィッツの象徴として映画で見ていた「鉄道引込み線」は1944年5月に完成、収容施設は、家族向けの監房、労働者向けの監房、女性専用の監房などに分けられ、1943年以降に建てられた南側の収容施設(全体の3分の1程度の棟数)は、湿地の上に満足な基礎工事もなく建てられ、粗末な作りで主に女性が収容されたとのことです。

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         《収容所へつながる鉄道引込み線》
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 《南側の収容施設》       《収容施設の内部》
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 クラクフからワルシャワまでは、ICCCで移動しました。クラクフを16時前に発車、ワルシャワに18時過ぎに到着です。車内は横に2座席×2の4名、一部向かい合った席もあります、日本と異なり平野でトンネルやカーブがないためか、揺れもなく快適でした。

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