SPAIN スペイン
 
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
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        《イベリア航空》                 《マドリッド空港》            《サンティアゴへの国内線》

 面積は50.6万平方キロメートルで日本の約1.3倍、人口は約5千万人、首都はマドリッド、言語はスペイン(カスティージャ)語のほかカタルニア語(カタルーニャ州)、ガリシア語(ガリシア州)、バレンシア語(バレンシア州,バレアレス州)についてもそれぞれの自治州の憲章内容に沿い公用語として認められています。2度目のスペインは、ポルトガル旅行の前に世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を訪れました。成田発着のイベリア航空マドリッド経由でサンティアゴマドリッドへ入国、帰りはリスボンからマドリッド経由で成田へ帰国しました。



《歓喜の丘》
 スペイン北部、巡礼の道の目的地でキリスト教の聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。サンティアゴ巡礼路は800kmで、巡礼者たちはフランスからピレネー山脈越えの巡礼路を約ひと月ほど歩いて目的地を目指します。そして、聖地の5km手前の丘に差し掛かるとカテドラルの尖塔が小さいけれどはっきりと見えてきて歓喜をあげる・・。丘に建つ巡礼者の像を見ていると、目指す聖地を見つけた時の喜びが伝わってくるようです。


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       《歓喜の丘に建つ巡礼者の像》
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           《2度目のスペイン年越し》

 日本で各地の除夜の鐘が放送されるように、スペインでは「0時」を知らせた後に「12のカウントアップ」が開始されます。これに合わせてブドウを1粒ずつ食べ、12粒食べて新年のお祝いが始まります。このカウントアップが早いので、それに合わせて食べるために事前に種を取ったり、皮を剥いたり準備をしておくようです。

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       《カテドラルの内部と一部修復中の尖塔》
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        《装飾の美しいパイプオルガン》

《カテドラル》
 9世紀にエルサレムで処刑されたイエス・キリストの12使徒のひとり聖ヤコブ(スペイン名・サンティアゴ)の墓がスペイン北部で発見され、これを記念して聖堂が建てられました。時はレコンキスタ(国土回復運動)の最中、その地サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教徒の精神的支柱となり、ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れ、教会が建ち、巡礼路ができ町が形成されていきました。世界遺産に登録されているのは、フランスからピレネー山脈越えの巡礼路。各路はスペインのプエンテ・ラ・レイナで合流し、さらに800kmも続きます。「北方のトレド」と呼ばれたエスティーリャ、カテドラルなど多くの宗教建築が残る古都ブルゴス、壮麗なカテドラルで有名な旧レオン王国の首都レオンなどを経て、眼下にスペイン・ロマネスク様式のカテドラルが現れます。
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《オブラドイロ広場》
 巡礼者は、約200体の聖人像が刻まれた「栄光の門」の中央に座す聖ヤコブ像に迎えられ、聖ヤコブの墓の上に作られたスペイン・バロック様式の主祭壇へ向かいます。中世にキリスト教の三大聖地のひとつとなり、12世紀には年間50万人もの人々がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指しました。巡礼路にはおびただしい数の人々とともにヨーロッパ各地の文物が行き交い、宗教建築や絵画など芸術・文化の発展にも大きく寄与しました。雨で傷んだ右部分を修復中の尖塔カテドラル、市庁舎、ホテルが取り囲むオブラドイロ広場には、市内観光の電気自動車が走っていました。

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      《公園の並木道と公園から望むカテドラル》

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