Russian Federation
  サンクトペテルブルグ その1
   市内、血の上の教会、ピョートル大帝夏の宮殿
   ・・・写真の一部は、クリックで拡大表示されます・・・

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        《チケット》             《舞台》          《 ロシアといえば・・・ 宮殿芸術バレエ 》

 ロマノフ朝時代の上流社会で花開いた宮殿芸術、バレエとオペラ。サンクトペテルブルグは、巨匠「ゲルギエフ」率いるマリインスキー劇場をはじめ、有名な劇場がひしめき合うロシア宮殿芸術の聖地です。バレエはルネッサンス期にイタリアで誕生し、ピョートル大帝の時代にロシアにもたらされたと言われ、「眠りの森の美女」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」ともにサンクトペテルブルグで生まれました。観る予定はなかったのですが、キャンセルがあったとかで有名な劇場ではありませんでしたが「ジゼル」を観ることができました。観光客相手でも、太めのジゼルでも、やはり生はよかったです。

      
 
 《宮殿広場》
ネフスキー大通りから旧参謀本部のアーチを抜けると広がる広場。中央には祖国戦争の勝利を讃える、自重だけでそびえ立つ一枚岩の大理石でできた、天使像を頂く高さ47.5m、重さ600tonのアレクサンドルの円柱があります。広場は、1905年の「血の日曜日事件」の舞台、また1917年の「ロシア革命」時には、革命兵士たちがここから冬の宮殿(現エルミタージュ美術館)へ進撃していった舞台となりました。現在は、戦勝記念パレードなどの記念行事や、コンサートなども行われているようです。
 《イサーク大聖堂》
イサーク広場近くにそびえ立つ、総重量30万tonの大聖堂。1818年からなんと40年の歳月をかけて作られたといわれ、大理石の柱や壁が美しく、展望台からは360度のパノラマ、ネヴァ川が見渡せるようです(残念ですが登りませんでした)。
 《青銅の騎士像》
専制政治と農奴制に反対した1825年の革命児「12月党員」のデカブリストの乱発祥の地に、エカテリーナ2世の命により1782年に「ピョートル大帝青銅の騎士像」が設置されました。
 《ネフスキー大通り》
モスクワ駅から旧海軍省まで延びる全長4200mの大通り。途中3本の運河を横切りますが、4体の馬の銅像で飾られた「アニチコフ橋」や金の翼の獅子像が美しい吊橋「銀行橋」などが楽しめます。歴史を感じさせる石造りの重厚な建築物が立ち並び、そこは教会や博物館だけでなく、カフェやデパートも軒を連ねています。

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              《宮殿広場》

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     《旧参謀本部アーチ上の彫刻》

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        《イサーク大聖堂》 《青銅の騎士像》

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       《ピョートル大帝の夢を追って・・・》

青銅の騎士像を中心に、ネヴァの河畔に広がる公園は、絶好の記念撮影スポット。またピョートル大帝青銅の騎士像の周りを花嫁と花婿が手をつないで、歩きながら愛を誓うと幸せになれる・・・と言われているそうですよ。

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               《ネヴァ河畔》


 《ネヴァ河畔》
サンクトペテルブルグは、ヨーロッパへの窓を探し求めたピョートル大帝により、ネヴァ川のデルタ地帯に人工的に造られた街です。そのためネヴァ河畔には、エルミタージュ宮殿、サンクトペテルブルグ発祥の地といわれるザヤーチィ島、またかつてはエルミタージュ宮殿より高い建物を建てることができなかったため、一定の高さで川岸に並ぶ建物が壮観です。
1703年、ザヤーチィ島に建てられた木造教会から街の歴史が始まります。今はペトロパヴロフスク要塞中央に、黄金に輝く高さ122.5mの塔を持つ教会に再建されています。ペトロパヴロフスク要塞前の砂浜?は、日光浴や水遊びを楽しむ地元の人で溢れ、冬には氷に閉ざされてしまうという短い夏のネヴァ川を十二分に楽しんでいるようでした。

 《血の上の教会》
皇帝アレクサンドル2世が1881年居暗殺された現場後に建てられたため「血の上の教会」と言われる「スパース・ナ・クラヴィー大聖堂」。カラフルな玉ねぎ型の屋根が美しく、上下、東西南北、すべてが聖書を題材にしたモザイク芸術で飾られています。中には当時のままの石畳も残されており、入場時は床のモザイクを保護するために「靴カバー」を着用します。内部の撮影は50PでOKですが、撮影許可シールをカメラに貼る必要があり、撮影しているとどこからともなく係りの女性がシールを確認に来ます。今回のロシアで、撮影許可を確認されたのは、ここだけでした。988年にウラジーミル大公が、ビザンチンからその教えを受け入れて以来、ロシア人の心の支えとして脈々と受け継がれてきたロシア正教。ロシア革命以降の弾圧にも拘わらずロシア正教の信者は、その教えを忘れずに今も熱心に十字を切ってお辞儀をします、異教徒ではありますが最低限のルールは守りたいですね。

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              《血の上の教会》

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《ネヴァ河からバルト海、水中翼船で夏の宮殿へ》

海を愛したピョートル大帝は、フィンランド湾を望む地に離宮の建設を命じました。フランスのパリ郊外にある「ベルサイユ宮殿」をモデルにしたとされ、大宮殿を背にして庭園を見下ろすと、その向こうにはフィンランド湾が望めます。サンクトペテルブルグから水中翼船で約30分、ピョートルとエカテリーナ二人の皇帝ゆかりの豪華絢爛な離宮、ペトロドヴァレツに到着します。現在はエルミタージュ美術館に所蔵されていますが、庭園には本物の古代ローマ時代のヴィーナス像が立っていたそうで、今でも約90体の17世紀頃の彫刻を観ることができます。

 《ペトロドヴァレツ、夏の宮殿》 
ヨーロッパにロシアの力を誇示するために建設した宮殿。夏の宮殿らしく窓を大きくとってあり、下の公園から見上げると滝の上に浮かび上がる姿は実に荘厳。園内には約150の噴水と4つの滝があり、水は20km以上離れた丘から引かれており、一切ポンプなどを使用しない水力工学技師「ヴァシーリー・ツヴォルコフ」が開発したシステムが今も活用されていることには驚きです。

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《ピョートル大帝・夏の宮殿》
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《ローマの噴水》

 《ローマの噴水》
ローマのサン・ピエトロ聖堂前の噴水をモデルにしたローマの噴水など庭園と噴水が本当に良く整備されていてきれいです。どこの観光地にもその国やその土地ゆかりの衣装を着て記念写真を撮るという商売があります。写真は観光客がドレスアップして記念写真を撮り終わった際に、ちゃっかり一緒に写真をお願いしたものです。

《噴水》
スウェーデン軍への勝利を讃えて造られた、サムソンはロシアを獅子はスウェーデンを象徴している高さ20mの「サムソン像の噴水」はもちろん、「ローマの噴水」以外にも「ライオンの滝」、水のカーテンができる「傘の噴水」、どの石か? 踏んでしまうと水が噴出す「いたずらの噴水」など・・・ ユニークな噴水もたくさん楽しめます。

 py1.jpg (7892 バイト) ⇒ 右足に注意!

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《いたずらの噴水》

   btn2.gif (444 バイト)  sp11.jpg (4153 バイト) → 宮殿広場で見かけた「ねこ」
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