Romani ルーマニア
 
 ブカレスト、シナイア、シギショアラ(ブラン城やビエルタン教会)
   ・・・枠の付いた写真は、クリックで拡大表示されます・・・

 ルーマニア(Romania)はローマ人の場所という意味で、面積は約24万平方キロメートルで本州とほぼ同じ、人口は約2,000万人、首都はブカレスト、公用語はルーマニア語、宗教はルーマニア正教、2007年にEU加盟、通貨はLEI(レイ)で1ユーロが約4.5LEI(1LEIは約30円)、平均月収は約1,500LEI(40,000円)程度とのことです。
 成田からトルコ航空でイスタンブール経由ブカレスト、イスタンブールを飛び立ってすぐに窓から虹が見えました。ブカレストへ向かう飛行機からは、雲に映る丸い虹を上から眺めることができました、幸先の良い旅行になる予感です。
 money50.JPG (48861 バイト) money100.JPG (52130 バイト)  r1.JPG (80383 バイト) r2.JPG (334667 バイト)
              《50LEI札と100LEI札》                    《イスタンブール空港》        《空撮》
   r4.JPG (62708 バイト)  r3.JPG (64150 バイト)   r5.JPG (97595 バイト)
      《飛行機から臨む雲に映った丸い虹》                 《ブカレスト空港の管制塔》
《ブラショフ》
 ルーマニア第2の都市ブラショフ、12世紀に移住してきたドイツ系商人によって基礎が築かれ、ドイツ風の街並みが広がりました。街中の歩行者天国レプブリチ通りの両側にはカフェやレストランが軒を連ねています。写真はハリウッドサインのようなブラショフサインです。
《黒の教会》
 町の中心にそびえる高さ約65mの教会、1689年にハプスブルグ軍の攻撃で外壁が黒焦げになったことから呼ばれています。

  b8.JPG (220075 バイト)
 《ブラショフサイン》

b10.JPG (84335 バイト)  b9.JPG (322117 バイト)
          《黒の教会、聖マリア教会》

《ビエルタン教会》
 シギショアラの南西にある小さな街ビエルタン、13世紀にザクセン人の入植地として始まりドイツ名をビルトヘルムといいます。街の中心は世界遺産に登録された要塞教会。

  b1.JPG (71447 バイト)  b4.JPG (329487 バイト)
                  《ビエルタン教会》
 16世紀前半に造られた教会でオスマン朝の襲撃に備えて3重の防護壁で囲まれています。山城のような堅固な守りで固められていて、見張り塔も設けられています。

  b3.JPG (69615 バイト)  b2.JPG (307943 バイト)
                 《教会とその内部》
《ブラン城》
 ブラショフの南西約30kmにあるブラン村の山上に建つ中世の城砦ブラン城。ルーマニアといえばブラン城といわれるほど、吸血鬼ドラキュラのモデルになった15世紀に実在した「串刺し公」のヴラド・ツェペシュの祖父ワラキア公ヴラド1世がここを居城としました。

d2.JPG (62217 バイト)d3.JPG (68879 バイト)
             《ブラン城の内部》
  d1.JPG (96713 バイト)  d7.JPG (341747 バイト)
       《ブラン城からの景色》       《ブラン城全景》

   d6.JPG (375482 バイト)  d4.JPG (408649 バイト)  d5.JPG (327725 バイト)
   《中庭の天秤は魔女か否かを重さで見極めたとか、
            体重で決められてもって気がしますが・・》
《シナイア》
 カルパチア山脈の山間に位置する町シナイア、18世紀にブカレストの王侯貴族たちの別荘として栄え、宮殿風の館が建ち並びます。ナツは避暑地、冬はスキーリゾートとして現在も賑わっています。
  s1.JPG (287435 バイト)  s2.JPG (19289 バイト)
          《シナイア僧院内の教会とフレスコ画》


《ペリショール城》
 カロル1世の狩猟用の城で、中世ドイツ風の質素な木造外観ですが、内部はペレシュ城同様に豪華絢爛・・

   s11.JPG (357725 バイト)  s12.JPG (361612 バイト)
      《ペリショール城の外観》

s7.JPG (71878 バイト)
《撮影許可はレシートを虫ピンで止めます》
s6.JPG (69380 バイト)
《靴の上にビニールを被せます》
s4.JPG (273293 バイト)   s5.JPG (271299 バイト)
《青空に映えるペレシュ城の外観》

《ペレシュ城》
 ルーマニア王室のカロル1世が夏の離宮として建設した宮殿ペレシュ城、様々な様式を組み合わせた内装は160部屋といわれる室内を絵画や彫刻で埋め尽くされ壮麗です。ゴシックとルネッサンス建築の外観はもちろん広大な庭園からシナイアの渓谷が一望できます。
  s10.JPG (72487 バイト)  s8.JPG (335818 バイト)
                  《絵画や彫刻の一部》
  s9.JPG (74232 バイト)
   《中世の武器なども飾られています》


《シギショアラ》
 トランシルヴァニア地方の中心に位置する町シギショアラ、ドイツ名をシェースブルグというように12世紀にザクセン人が入植し、ドイツ系移民の職人や商人が街の経済を発展させました。町のシンボルは高さ60mの時計塔、14世紀に建てられ17世紀後半に焼失再建されました。街の広場には、ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュの生家も残っていて、レストランとして営業されている他、博物館もあります。

  b7.JPG (345591 バイト)
 《シギショアラの教会》
b5.JPG (76294 バイト)b6.JPG (66187 バイト)
《街の中心とシンボルの時計塔》

bk1.JPG (79920 バイト)
《第1次世界大戦勝利を記念した凱旋門》
bk12.JPG (101365 バイト)
《国立美術館入口の像》
bk4.JPG (100053 バイト)
《クレツレスク教会》

《ブカレスト》
 カルパチア山脈の南に開けた都市ブカレスト、かつてはバルカンの小パリと呼ばれた美しい街でしたが第二次世界大戦後の政策などによって歴史的建造物が多く破壊されたようです。

  bk3.JPG (332244 バイト)  bk5.JPG (352792 バイト)  bk9.JPG (320893 バイト)
《クレツレスク教会》
 18世紀に建てられた内部がイコンで埋め尽くされた教会、内部は立ったままで説教を聴くらしく、椅子が全くありませんでした。

  bk6.JPG (333494 バイト)  bk2.JPG (337373 バイト)
《革命広場のアテネ音楽堂とカロル1世像》
 ブカレストの中心にある街を代表するモニュメントに囲まれた広場が革命広場で、国内で最も格式の高いアテネ音楽堂や大統領府として使用されていた共和国宮殿、旧共産党本部前には1989年民主革命で犠牲になった民衆の記念碑があります。

  bk7.JPG (394168 バイト)  bk8.JPG (290191 バイト)
《国民の館》
 チャウシェスクによる独裁政治を象徴する巨大な宮殿が国民の館、床面積が33万平方mと官庁宮殿ではアメリカのペンタゴンに次いで世界2位の規模だとか。1989年にチャウシェスクが処刑された時はほぼ完成間近で、現在は政党の本部や会議場として使用されています。また統一広場へまっすぐ続く統一大通りは数々の噴水がありますが、どれも使用されていませんでした。

   r11.JPG (91437 バイト) r8.JPG (67154 バイト) r9.JPG (66893 バイト)
         《季節はGW、菜の花が満開、食用だけでなくバイオ燃料にも》          《ブドウではなくホップ》
   r10.JPG (59423 バイト) r7.JPG (59989 バイト) r6.JPG (79280 バイト)
      《牛や馬、羊の放牧も盛ん》           《国境のドナウ川を渡ってルーマニアからブルガリアへ》

    btn2.gif (444 バイト)
     戻る