INDIA インド
 
 デリー観光(クトゥブ・ミナール、フーマユーン廟)、交通、食事など
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《 デリーまで直行のJAL(OneWorld) インド・ルピー(500,50,10)紙幣 》

 JALは成田からデリーまで直行便で約8.5時間、インドとの時差は3.5時間。中国を横切ってのフライト、お天気次第ではヒマラヤ山脈が見えるようです。紙幣は上から500ルピー、50ルピー、10ルピー、1ルピーは約2円。観光地のトイレチップは5〜10ルピー、ホテルの枕銭は10〜20ルピー程度です。

・面積:3,287,263平方キロメートル(含むインド政府資料:パキスタン、中国との係争地)
・人口:10億2,702万人(2001年国勢調査)※国勢調査は10年に1度実施)人口増加率1.95%(年平均:インド政府資料)
・首都:ニューデリー(New Delhi)
・民族:インド・アーリヤ族、ドラビダ族、モンゴロイド族など
・言語:連邦公用語はヒンディー語、他に憲法で公認されている州の言語が21もあるらしい
・宗教:ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%


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 《オートリキシャ》  《土産物屋》   《学校帰り》

 一番の思い出は、物売りかもしれません・・・。どこの観光地でも日本人に対しては、しつこいほどの土産物売りを見かけますがインドは最強です。買わなければ誰かが買うまでついて来るし、誰かが買えばここぞとばかりに集まってきます。また物売りでもないのに、よく話しかけてきます。カメラを持っていると「こっちがベストビューだ」とか「縦に撮れ」だとか、さらに「ここはあ〜だ、こ〜だ」、「ついて来い」と頼みもしないガイドが大勢集まります。しばらくすると、ガイド料を請求されるようなので、注意が必要です。ガイド料といっても、日本円にすると数十円くらいのようですが・・・。

 
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 《定員って何人? でもみんな楽しそうです》

 本当に何でもアリの国「インド」。人、自転車、バイク、リキシャ、車、馬車、おまけに牛、水牛、らくだ・・・、車線はあってないようなもの、交差点はラウンドアバウト式が多く、キープレフトを知らない車、車幅より狭い隙間に割り込むオートリキシャ、クラクションの音にびくともしないで、悠々と道路を横断する牛、何人乗せれば定員なのか不明のバス、何家族が乗っているのかと思うほどの乗用車。市内で渋滞の要因になっているオートリキシャはCNG、乗用車は日本車が多く、300万円から500万円、ガソリンは原油高騰から100円/Lと非常に高価です。

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        《国道沿いの壺屋?さん》
  
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         《バザール入口のお店》

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          《バザールのお店》

 市内を普通に移動するだけで、たくさんの動物を見ることができます。空港の屋根にはインコの巣がありましたし、観光地ではリスをたくさん見かけました。牛や水牛、馬、ラクダ・・・、鳥も緑のインコはもちろん、カラスやすずめだけでなく、きれいな翼の色の鳥もたくさん見ることができます。

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《空港の屋根と世界遺産に巣を持つインコ》

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《ナンをかじるリス》  《ゴミをあさる野豚》

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《クラクションの音を気にしない牛》

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《国道沿いの果物屋台》

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《どこへ行く?水牛》  《木陰で休憩のラクダ》

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《高速道路を普通にラクダが歩いています》

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《小屋に戻るのでしょうが、道いっぱいに広がってますよ》

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《頭にミルクや水を乗せて運びます》

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《クトゥブ・ミナール》
 ニューデリーの南郊外15kmに、ひときわ高くそびえる塔「クトゥブ・ミナール」。高さは72.5m、コーランの文句を図案化した彫刻が刻まれた塔の直径は14.5m、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てられたもので、その後後継者が増築し、モスクでの礼拝を呼びかけるために使われたとのことです。塔のそばには、破壊したヒンドゥー寺院の石材を用いて建てられたインド初のモスク「クワットゥル・イスラーム・マスジェット」。

 塔は5層からなり、以前は内部に入り展望できたらしいのですが、小学生の遠足?で事故があり、その後は立ち入り禁止になったとのことです。今は外から眺めるだけです。

 13世紀、中央アジアから南下してインド平原部の富の略奪を繰り返していたイスラム勢力の一部が、インドに留まってこの地を支配して建てられ、これが北インド初のイスラム政権、奴隷王朝です。その後、ムガル帝国の成立までデリーを首都とする短命なイスラム政権が興亡し、これを総称してデリー王朝と呼ばれています。


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《フマユーン廟》
 ムガル帝国第2代皇帝のフマユーンの廟は、その妃によって1565年に建造されました。庭園の中に廟を置く形式で、タージ・マハルに比べれば小さいながらも、タージ・マハルも影響を受けて建てられ、インド・イスラム建築の傑作とされています。入口のアーチ越しに見えるドームと左右対称の建築物は、安定感が引き立ちます。

 建物内(廟)にも入ることができ、中央に置かれた白大理石の棺を見ることができます。が・・・これは仮の棺で、遺体はこの廟の真下に安置されているとのことです。ちなみに1993年に世界遺産に登録されました。


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《インド門》
 1911年にカルカタからデリーに英領インドの首都が移され、イギリス人建築家ラチェンズによって建設が開始され、1931年に完成しました。高さは42m、第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑となっていて、その壁面には戦没者13,500人の名前が刻まれています。

       
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《レッド・フォート》
 ムガール帝国の赤い砦「ラール・キラー」は、レッド・フォートの別名を持つ第5代皇帝シャー・ジャハーンによって1639年から1648年に建設された広大なお城です。その後、セポイの乱で多大な被害を受けましたが、城内にはムガル帝国の面影が色濃く残っています。

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      《デリーのホテル前》                    《インドで飲んだビール》

 インドビールは、いずれもあっさりしていて、アルコールは3.5vol%。暑い気候と辛い食事にはピッタリです!

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