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人口は約6,600万人、面積は54万4,000平方km、宗教はカトリック、イスラム教、プロテスタント、ユダヤ教。
2012年5月の大統領選挙の結果、オランド元社会党第一書記が大統領に就任し、17年ぶりの左派政権として、社会党を中心とする左派連立政権が発足。2015年1月、パリ及び近郊で、週刊紙「シャルリー・エブド」社、ユダヤ食料品店が襲撃され、さらに12月にはサッカー場や劇場で爆弾や襲撃などテロ事件が起こりました。フランス国内における過去50年間のテロ事件の中で最悪の結末で大きな衝撃を与えましたが、オランド政権はテロに対して決然とした対応をとる意志を表明し、テロ対策強化に取り組んでいます。2015年末に訪れた際、シャンゼリゼ通りも武装兵による警備が物々しかったですが、観光客にとっては逆に安心できました。 |
《エッフェル塔》
1889年の万国博のために、造られた高さ321mの鉄塔。
2000年に訪れた際は、夜20時から毎正時に15分間、きらきらと輝くエッフェル塔を見ることができました。昼の青空にそびえるエッフェル塔も、夜のセーヌ川クルーズで眺める照明に輝く夜のエッフェル塔も、パリのシンボルとして忘れられない光景でした。 |

《パリのシンボル、エッフェル塔》
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《凱旋門》
高さは約50m、幅は約45m、この巨大な門の建設を命じたのはナポレオン。1806年、オステルリッツの戦いでの勝利を讃えて建設を計画しますが、この時彼はセントヘレナ島で死を迎え生きて門をくぐることはできませんでした。壁面にはフランス革命とナポレオン時代の戦いの数多い勝利を表す見事なレリーフ彫刻が施されています。 |

《シャルルドゴール広場の凱旋門》
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《ちょっと、ずれてしまった》 《荷物を上げる人力の滑車》

《モン・サン・ミッシェル僧院の内部》 |

《遠景から望む》 《ホテルから望む》 《昼の景観》

《夕暮れの景観》 《夜の景観》 《最上部》
《モン・サン・ミッシェル》
フランスのノルマンディー地方に位置する陸地と一本の堤防で結ばれた小島にそびえる僧院。起源は8世紀にさかのぼり、16世紀に現在の姿が完成しました。要塞や牢獄として使われたこともあり、重々しい全景はまさに奇観の名に値する世界遺産です。モン・サン・ミッシェル周辺の環境を守るために橋が架け替えられ、大潮の満潮時には離島の景観が復活しました。陸地側のホテルに宿泊し、昼・夕・夜の景観を楽しみました、島には無料のシャトルバスが12分間隔で運行されていて、島の手前数百mまでバスで行くことができます。帰りは、表示のないよく分からないバス停?から乗り込むと、ホテルや駐車場のある場所まで帰ることができます。歩くこともできますが、近くに見えても約2km離れているとのことです。 |

《サクレクール寺院のあるモンマルトル》 |
《モンマルトルの丘》
パリ北部の小高い丘。
純白のサクレクール寺院と、画家達がキャンバスを並べるテルトル広場、昔はぶどう畑が広がるのどかな村で、この丘に画家や文化人が移り住むようになったのは19世紀初めのことらしい。ユトリロやローレックの作品にモンマルトルの姿が数多く残っています、また近年は映画「アメリ」の舞台として有名になりました。 |
《ノートルダム寺院》
ゴシック建築の最高傑作のひとつといわれる大聖堂。
フランスのカトリック総本山として歴代国王の結婚式などが行われましたがフランス革命後は荒廃してしまいました。正面広場から眺めると、左右に四角い高さ69mの塔があり、右が「ノートルダムのせむし男」で有名な大鐘のある南塔です。教会の入り口上部と聖堂中央部の左右には、大輪の花が咲いたようなバラ窓と呼ばれるステンドグラスを見ることができます。 |
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⇒ フランスのお土産、エッフェル塔やモン・サン・ミッシェルのミニチュアなど |