Republic of Estonia エストニア共和国
 
 世界遺産タリン歴史地区(アレクサンドル・ネフスキー聖堂など)
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    《タリンクシャトルターミナル》    《ヘルシンキから約2時間》       《高速船のチケット》    《高速船から望むタリン》

 面積は4.5万平方kmと日本の約9分の1、人口は約130万人、首都はタリンでタリン歴史地区(旧市街)は1997年より世界遺産に登録、言語はエストニア語、宗教はプロテスタント(ルター派)とロシア正教など。フィンランド湾をはさんでヘルシンキから高速船で約2時間、世界遺産に登録された城壁に取り囲まれ中世の雰囲気が息づくエストニアの首都「タリン」に到着です。

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《天国の橋》             《地獄の橋》

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                《タルトゥ大学》

 エストニア第2の都市タルトゥは、タリンの南180kmにあり、400年の歴史を持つエストニア最古の大学、タルトゥ大学があります。タリンが政治経済の首都なら、タルトゥはエストニア文化の首都だと言われています。町の発祥はタリンよりも早く、11世紀からロシアとの交易が行われており、ヤロスラフ1世が砦を築いたとされ、その後カトリックの司教領となり、バルト・ドイツ人の町として発展し、1280年にはドルパットという名前で、ハンザ同盟の加盟都市になった街です。

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《歌の原》

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 民族衣装を着た3万人以上の歌手がエストニア各地から集まり、歌と踊りの祭典が5年に1度ここで催されるようです。1988年9月11日、30万人以上のエストニア人が集い、独立の願いを歌にした「歌いながらの革命」と称賛されるバルト三国の独立運動の一歩となる出来事もここ「歌の原」で開催されました。
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              《カドリオルグ宮殿》

 ピョートル大帝が愛した美しい公園、カドリオルグ公園はタリンの東側に位置し、市の中心地からも近く、バスや路面電車で10分ぐらいのところにあり市民の憩いの場となっています。ロシアのピョートル大帝により建設されたイタリア・バロック様式の公園で、設計はイタリア人のニッコロ・ミケッティによるもの、公園の建設は北方戦争(1700〜1721年)の最中、1718年に開始されました。カドリオルグ公園の名前は、「エカテリーナの谷」を意味し、ピョートル大帝の后エカテリーナ1世に由来しています。カドリオルグ宮殿は現在海外美術館として利用され、主な美術展示品は16世紀から20世紀の西ヨーロッパやロシアの絵画、歴史的家具、彫刻などです。天皇皇后両陛下がタリンご訪問の際に、この宮殿内でご昼食を召し上がられたとのことです。

 バルト海に面したプロムナードにある天使のブロンズ像は、Russalka malestusmark と呼ばれる記念碑です。1893年にヘルシンキへ航海していたロシアの軍艦が沈没し、亡くなった177人の乗組員を慰霊して1902年に造られたものだそうです

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《カドリオルグ公園》
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《天使のブロンズ像》

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         《パイプオルガンのコンサート》

 旧市庁舎の南西、ニグリステ通りにある13〜15世紀に建造された大きなゴシック様式の教会が聖ニコライ教会(ニグリステ教会)です。第二次世界大戦で空爆を受け建物は破壊され、その後1980年に再建されました。教会内にあるベルント・ノットが描いた奇怪で神秘的な作品「死のダンス(死の舞)」と、毎週開催されているというパイプオルガンのコンサートは必見です。
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《死のダンスと教会入口》
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      《聖ニコライ教会》

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           《ラエコヤ広場と旧市庁舎》

 町の中心ラエコヤ広場、かつては市場や祝い事に使用されていたようです。ラエコヤ広場にあるゴシック様式の建物がタリンの旧市庁舎です。旧市庁舎は1402年から1404年にかけて建造され、北欧最古のゴシック建築と言われています。この建物に付随した塔の高さは65メートル、その先端には旗を持った番兵の像があります。この像は「トーマスおじいさん」と呼ばれ、タリン市民に親しまれているとのことです。

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《ラエコヤ広場から旧市街へ》

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《世界遺産の街、エストニアタリン歴史地区》

 旧市街はその外縁がぐるりと石造りの城壁に囲まれており、何箇所かに内部へと通ずる門が開かれています。さらに旧市街内の丘の上には、丘の頂部に住んでいた要人や王侯貴族らを守るために築かれた城塞が今でも部分的に残っています。例えば、タリン港からも近い城壁の北門にあたるスール・ランナ門に併設した砲塔は、かつて牢獄として使われていたころに囚人の世話をしていた太った女将さんの名前にちなんで「ふとっちょマルガレータ」というユニークな愛称で今日まで親しまれていますし、崖の上に聳える トーンペア城、13世紀にドイツ騎士団がここに石造りの要塞を建ててからずっと権力の象徴になっているようです。ピンクの宮殿の真向かいに建つのが アレクサンドルネフスキー大聖堂、タリンにある教会の中でも一風変わった外観をしており、ロシア正教らしく玉ねぎ型ドームを有しています。 塔の屋上からは、旧市街や港を展望することもできます。

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   《エカテリーナ教会とその内部》    《エリザベート教会》

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  《撮影に快く応じてくれました》        《レッドタワー》

 パルヌはエストニアの「夏の首都」と言われ、街の雰囲気にもかなリ華やかな面を感じられます。この街は泥治療で有名なれゾート地で、すでに180年の歴史があり、メインストリートのリュートゥリ通リには華やかな商店が軒を連ね、土産物屋、洋品店、レストラン等観光客で賑わって、いかにもリゾート地らしい雰囲気です。公園の野外ステージでは、ちょうどお祭り?が開かれ各種衣装で着飾った市民が歌い踊ってました。

 14世紀の騎士団時代から残る唯一の城壁の塔「レッドタワー」は、戦争で何度も破壊され現在では周囲の家とほとんど変わらない高さでした。

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         《野外ステージで歌い踊るパルヌ市民》

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        《街のいたる所でストリートパフォーマーを見かけます。やはりバイオリンが一番多いですね》
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        《街の音楽ホールとその駐車場、タクトの車遮断が素敵でした》          《街の中を走る観光用の電気自動車》

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