Republic of Croatia クロアチア共和国 シベニク、トロギール、スプリット、モスタル、ドブロヴニク、プリトヴィッツェ ・・・枠の付いた写真は、クリックで拡大表示されます・・・
《プラッツァ通り》 《ティツィアーノ作、聖母被昇天》 《1713年に再建された大聖堂》 《聖ローラント像》 《正時に奏でられる時計塔》
ザグレブとザダルのほぼ中間にある「プレトヴィツェ湖畔国立公園」、公園内には16の湖がありクロアチアを代表する景勝地で、総面積200平方kmもあります。深い森に映えるエメラルドグリーンの湖と湖と湖を結ぶ滝が最大の見所です。最も高い場所の標高は1,280mに対して最低点は380mと高低差があるため、ヨーロッパでは珍しいダイナミックな瀑布です。1951年に国立公園に指定され、1979年に世界遺産に登録されましたが、内戦の影響で危機遺産に指定されたこともあります。現在はそのリストから外され、観光客で賑わっています。 《ユネスコ世界遺産》 《エメラルドグリーンの湖》 《落差78mの滝》 《滝と青い湖の風景》
《湖畔国立公園入口》 《湖と湖を結ぶ遊歩道》 《数々の滝と青い湖》 《コジャック湖を電気ボートで遊覧》
《城壁を使った図書館》 《市庁舎と大聖堂建築家ユライ・ダルマチーナの銅像》 《大聖堂の内部》
アドリア海の南部はダルマチアと呼ばれ、クロアチアを代表するリゾート地でワインや生ハムなどの特産品でも有名です。クルカ川の河口に開けた港町、要塞のある小さな漁村でしたがクレシミル4世によってシベニクと名付けられ、以降アドリア海の貿易港として発展しました。街のシンボル聖ヤコブ大聖堂は、世界遺産に登録されており、15〜16世紀にかけて建造された巨大な聖堂で、ゴシック様式で建設を始め、途中で方針変更されルネッサンス様式で完成されました。まりましたがてだった。 《世界遺産、聖ヤコブ大聖堂》 《シベニク旧市街》
アドリア海沿岸の中心都市でクロアチア第2の都市スプリット、293年にディオクレティアヌス帝が神殿を建てた近くの主要都市サロサが異民族の侵入により放棄され、市民が宮殿の周囲に移住してきたのが街の始まりとされています。12〜14世紀には自治区として繁栄しましたが、その後ヴェネツィアの支配下になりました。現在のディオクレティアヌス宮殿は、旧市街と同化していて宮殿の一部は民家やカフェになっていますし、地下宮殿内は土産屋となっています。 《アドリア海沿岸都市》 《民家と同化》 《デオクレティアヌス宮殿》 《グレゴリーの銅像》 《デオクレティアヌス地下宮殿》 《親指に触るとご利益がある?グレゴリーの銅像》
《水道橋》 《クロアチア第2の都市、スプリット》 《デオクレティアヌス宮殿、地下宮殿》
ペリシェシャツ半島の付け根、牡蠣と城壁で有名な町ストン、魚介など海の幸が豊富なクロアチアですが、ほとんど肉食で魚介を好むのは数ヶ所のようです。ストンは牡蠣の養殖が盛んで、生牡蠣とブロデットと呼ばれるクロアチア風のブイヤベースをいただきました。またクロアチアの移動には高速道路が必須ですが、ブーラと呼ばれる北風が強く、高速道路や道路にかかる橋がブーラのため閉鎖になってしまうようです。フラニョ・トゥーニュマン橋は、一年に300日(数時間の閉鎖も1日とカウント)閉鎖されるといわれる程のようですが、幸運なことに往復ともに橋・高速道路の閉鎖にあうこともなくスムースにベレビド山脈を越えることができました。
紀元前3世紀にできたギリシャ人植民都市が街の始まりとされるトロギール、11世紀には司教区ができてハンガリー王の支配下に入りますが自治権を持つ都市として繁栄しました。その後1420年から1797年までヴェネツィア、19世紀にはハプスブルク家に支配されました。本来は島ですが陸地と橋でつながっていて周囲は城壁で囲まれています。中世そのままの旧市街は世界遺産に登録されていて、市庁舎や時計塔、聖ロヴロ大聖堂が見所です。 《海なのに白鳥・・》
《旧市街裏通りと時計塔》 《トロギール木造の橋》
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