Bosnia and Herzegovina ボスニア・ヘルツェゴビナ
 
 モスタル(石橋、旧市街)、ネウム
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 長い間オスマン朝の支配下にあったため、トルコの文化的影響が強く、東西の要素が交じり合う魅力あふれる国です。20世紀末の内戦の悲劇を乗り越え、新たな道を歩み始めています。内戦後に日本から多くのバスが寄贈され、今も黄色の車体に日の丸を背負ったバスを街中で多く見ることができます。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの面積は約5.1万平方キロメートル、人口は約400万人、首都は冬季オリンピックが開催されたサラエボ、言語はボスニア語、セルビア語、クロアチア語、宗教はイスラム教、セルビア正教、カトリックなど。
6世紀頃にスラヴ人が定住を開始し、14世紀にボスニア王国を確立するも1463年オスマン・トルコによるボスニア征服、1878年オーストリア・ハンガリー帝国支配下の一州を経て1918年にセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国領、1945年旧ユーゴを構成する共和国の一つとして発足、1992年4月に本格的紛争に突入後、1995年12月にデイトン和平合意が成立。通貨はマルカ(KM)、1マルカは4クーナ(HRK)なので約80円(2015年)ですが、全てユーロが使えました。

 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結の1995年以降、モスタルの復興は急速に進められ、紛争で廃墟となった場所には新たに住宅やショッピングセンターなどが整備されました。モスタルは欧州連合の監視団による直接的な監視の下で、民族間の調停や都市の政治的な統制が考えられ、破壊されたスタリ・モストや周辺の歴史的な建物の再建も1999年に開始、2004年にはほとんど完成したとのことです。今でも(2015年)、内戦の傷跡は多く残っていますが、スタリ・モストをはじめ観光で訪れるには整備された綺麗な街の印象を受けます。歴史的なモスタル、特にスタリ・モスト周辺の再建を助ける為の旧市街の保存スキームや個々の再建計画が形作られ、債権後の2005年7月にスタリ・モストとその周辺がユネスコ世界遺産に登録されました。

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《高い鐘楼が目印のカトリック大聖堂》

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         《ネレトヴァ川とイスラム寺院》
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 スタリ・モスト(石橋)のかかるネレトヴァ川は、とても綺麗で赤茶色の屋根とのコントラストが見事です。橋の中央では、観光客から少しずつのチップを集め、ある程度貯まったら?ネレトヴァ川へのダイブが行われます。

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       《世界遺産の石橋、スタリ・モスト》
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 1556年、オスマン朝支配下の時代に建てられて橋、ボスニア語で「橋の守り人」の意味を持つモスタルを象徴する建築物です。橋台を用いずに両岸からアーチ状にかかる橋は造形的な美しさと当時の建築技術の高さに驚かされます。橋の両岸には塔がそびえ、東岸の塔はスタリ・モスト博物館として使われています。またそのたもとには、内戦を忘れない石碑がひっそりと置かれています。

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《内戦の傷跡》
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 1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言しました。当時、同国には約430万人が住んでいましたが、そのうち44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在しており、ボシュニャク人とクロアチア人が独立を推進したのに対して、セルビア人はこれに反対し分離を目指したために、両者間の対立がしだいに深刻化し独立宣言の翌月には軍事衝突に発展しました。この内戦は、およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられ、死者20万人と言われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となってしまいました。

 

 ネレトヴァ川沿いに建つ17世紀に建てられたオスマン朝時代の伝統家屋、トルコ風呂や銅・真鍮・青銅の商店街、丸い石畳の土産屋を楽しめます。トルコの文化的影響が強いため、中東に来たと錯覚してしまいました。商店や露店にはトルココーヒーの茶器や水タバコのセット、ランプなど真鍮製品からレース、絨毯などの手芸品まで見るだけでも楽しめます。綺麗な花模様の手作りのテーブルクロスを見ていたら、30ユーロで声をかけられ20ユーロ、15ユーロまで下がりました。立ち去る際には10ユーロになっていましたので、何か求める際は充分な交渉が必要のようです(結局買いませんでしたが)。

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《旧市街の商店街》
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