Bosnia and Herzegovina ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル(石橋、旧市街)、ネウム ・・・枠の付いた写真は、クリックで拡大表示されます・・・
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結の1995年以降、モスタルの復興は急速に進められ、紛争で廃墟となった場所には新たに住宅やショッピングセンターなどが整備されました。モスタルは欧州連合の監視団による直接的な監視の下で、民族間の調停や都市の政治的な統制が考えられ、破壊されたスタリ・モストや周辺の歴史的な建物の再建も1999年に開始、2004年にはほとんど完成したとのことです。今でも(2015年)、内戦の傷跡は多く残っていますが、スタリ・モストをはじめ観光で訪れるには整備された綺麗な街の印象を受けます。歴史的なモスタル、特にスタリ・モスト周辺の再建を助ける為の旧市街の保存スキームや個々の再建計画が形作られ、債権後の2005年7月にスタリ・モストとその周辺がユネスコ世界遺産に登録されました。
《高い鐘楼が目印のカトリック大聖堂》
《ネレトヴァ川とイスラム寺院》 スタリ・モスト(石橋)のかかるネレトヴァ川は、とても綺麗で赤茶色の屋根とのコントラストが見事です。橋の中央では、観光客から少しずつのチップを集め、ある程度貯まったら?ネレトヴァ川へのダイブが行われます。
《内戦の傷跡》
1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言しました。当時、同国には約430万人が住んでいましたが、そのうち44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在しており、ボシュニャク人とクロアチア人が独立を推進したのに対して、セルビア人はこれに反対し分離を目指したために、両者間の対立がしだいに深刻化し独立宣言の翌月には軍事衝突に発展しました。この内戦は、およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられ、死者20万人と言われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となってしまいました。
ネレトヴァ川沿いに建つ17世紀に建てられたオスマン朝時代の伝統家屋、トルコ風呂や銅・真鍮・青銅の商店街、丸い石畳の土産屋を楽しめます。トルコの文化的影響が強いため、中東に来たと錯覚してしまいました。商店や露店にはトルココーヒーの茶器や水タバコのセット、ランプなど真鍮製品からレース、絨毯などの手芸品まで見るだけでも楽しめます。綺麗な花模様の手作りのテーブルクロスを見ていたら、30ユーロで声をかけられ20ユーロ、15ユーロまで下がりました。立ち去る際には10ユーロになっていましたので、何か求める際は充分な交渉が必要のようです(結局買いませんでしたが)。
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